ドラム缶について
ドラム缶一口メモ
クローズドタイプ
クローズドタイプは天板・地板とも巻締したもっとも一般的なタイプです。
主に潤滑油・化学品・食品等に広く使用されています。
多重巻ドラム
巻締部(天地版と胴板の接合部分)が渦巻状のため、外側からの衝撃に対して強く、高い位置から落下してもくぼみによる変形から発生する漏れがありません。巻締強度のアップにより薄物化が可能、ドラム缶の軽量化が実現しました。
ステンレスドラム
鋼製ドラムと比較して巻締部を溶接しているため、落下・衝撃に対し強度があります。耐触性および耐薬品性に優れ、化学薬品、医薬品、香料、食品等の容器として貯蔵及び輸送容器として使用されています。
ハイエンド商品ながらコストパフォーマンスに優れています。
改造オープンドラム
残留物の除去が不能なクローズドドラムの天板を切り離し、オープンタイプとして再利用したものが改造オープンドラムです。
オープンタイプ
天板の取り外し可能なオープンタイプは主に塗料・接着剤等の粘性のあるもの及び個体・粉体等に使用されています。
SOPドラム(ナベ底タイプ)
塗料・ワニス・接着剤等、粘度のある内容物について繰り返し再使用することを目的としたドラムです。一般の鋼製ドラムと異なり、ドラムの底部をナベ底にし、残渣を完全に除去できる様に設計されたドラムです。強度を増すためにドラム上部のカーリングに9ミリの鉄芯をいれ、接地部を2.3ミリのスカートで補強しています。
SOPドラムは10回以上の再使用が可能な経済的なドラムとして、各ユーザーより高い評価を得ております。
MCケミドラム
上記の改造オープンドラムにポリエチレン製ライナー(袋)を挿入し、クローズドタイプに仕上げた低価格のケミドラム缶です。
ドラム缶の歴史
ドラム缶は1903年、米国人女性 ネリーブライ[Nellie Bly](エリザベス・コークラン・シーマン[Elizabeth Cochrane Seaman])女史によって発明され彼女が経営を託されたニューヨークのアイアン・クラッド社で現在のドラム缶とほぼ同形状のものが製造されたのが始まりである。
1860年代、アメリカで発見された石油の貯蔵運搬用として使用されていた木樽に代わる容器としてネリー・ブライ女史が、欧州旅行中に見たグリセリン入りの金属容器をヒントにしてドラム缶は生み出されたのである。
我が国にドラム缶がいつ頃現れたかは定かでないが、大正末期頃、海外からの輸入物資の容器として洋樽に混じり、登場したようである。
1926年(昭和元年)、小倉石油(後 日本石油)は石油製品を一部ドラム缶で輸入しており、これを自家用として再使用するために修理を考え、同社構内(東京・江東区)に初めて二本掛けの洗浄修理設備を設置した。
1929年(昭和4年)、小倉石油は米国からドラム缶製造機械を輸入し、山口県下松市で自社用としてドラム缶の製造を開始した。
そのころ、中古ドラム缶も需要が増加し、1930年(昭和5年)横浜・浅間町で神奈川ドラム(株)が設立され、関東で初めてのドラム缶修理工場が操業を開始した。
1932年(昭和7年)、東京に合資会社「日本ドラム缶製作所」が創設。企業として新ドラム缶の製造を開始した。
同じ年に横浜、大阪、新潟にもドラム缶工場が設立された。
これに伴って、中古ドラム缶の修理業も段々盛んになり、石油会社の設置した修理設備を使って修理の下請作業を行う企業が出現。
また18L缶あるいは洋樽を取り扱う業者の中にも兼業で更正加工を施し、売買の形で中古ドラムを取り扱うようになった。
1931年(昭和6年)に勃発した満州事変を景気に大量の軍需に支えられ、新ドラム製造業者・中古ドラム更正業者とも急速にその事業所数・規模を拡大していった。
満州事変後、二・二六事件、太平洋戦争へと戦火が拡大していくに伴いドラム缶の軍需は極めて高くなり、特に新ドラム製造業者は軍の管理工場として増産につぐ増産を強いられた。
戦局の烈化に伴い石油製品、工業薬品等が厳重な統制下におかれ、その容器としてのドラム缶が重要な役割を果たしたこの時期に我が国ドラム缶産業の基盤が確立したといえるであろう。